最近のヘビロテ
音楽は大好きです。通勤途中は必ず聴きますし、コーヒーブレイク中も耳にイヤホンが入っています。そんな私の、今のてビロテ曲を紹介します。
BURNOUTS SYNDROUMESの『ヒカリアレ』です。
この楽曲はYouTubeの動画でリンクしている通り、バレーボールアニメ『ハイキュー!!』の第三期のオープニング曲です。
もともと陸上部出身の私にはバレーボールアニメなぞ接点はありませんが、このアニメのバレーボール部のコーチ役で出ている田中一成さんのファンなので、観てみよう、と思った訳です。田中さんのことはまた語るとして…
スポーツアニメのオープニこグ曲にふさわしく、疾走感のある曲で、詩もアニメに合う内容になっているのでとても気分の上がる曲です。3ピースバンドの曲なので、演奏も繊細さよりはダイナミックさが出ていて、そこも気分が上がります。ベースの上下にハネまわる感じが個人的にはとても好きです。
何より、私は聴いた時に山作戰さんかと思うほど曲のイメージが近いと感じました。ここのあたりは、ポンコツ諸兄の御意見をお聞きしたいところですが…。
今、AbemaTVで23時からちょうどかかっていますので、是非観てみて下さい。
ジムニーがイチバン
私は働きだしてから長らく原付乗りでした。スズキのストリートマジックという二スト車で、長く乗っていましたが、ある朝の出勤途中にマフラーが脱落するというとんでもない事件にあい、ホンダのベンリィCL50に乗り変えました。
通算9年近く雨の日も風の日も台風の日も雪の日も原付で乗っていましたが、左折のトラックにまきこまれ、結構なケガをしたので、車に乗ることにしました。
その時選んだのが、前々から欲しかったジムニーです。
ある離島で勤務していた時代、台風が来て寮から避難しようとした時に乗せてもらったジムニーは移動できたのに他の車は浸水しそうになって結局逃げられなかった、ということがありました。この時の強烈なイメージと本格オフロードという性格で、自分が買うならジムニー、と決めていました。
乗ってみると高い車高、頑丈なボディが良くて、乗っていて楽しい車です。
初めの4年で16万km、西は熊本から東は静岡まで彼方此方に出て行きました。3泊の車中泊をしたり山の駐車場で読書をしたり、とても大好きな車でしたが昨年、任意保険を掛けていなかった大バカ者に追突されて結果的に廃車に。
新しく買ったのは、迷いもなく勿論ジムニーです。
最近は公共交通機関で遠出するのが楽しくなったので以前程は乗らなくなりましたが、今でもジムニーがイチバン、と思っています。
AirPods、あるいはワイヤレスイヤホン
私は新しい物好きで、新技術と聞くと購入したくなります。
ワイヤレスイヤホンもその類で、Bluotoothのイヤホンは出始めの頃から使っています。私が導入した当時は3~4時間程度しか使えず、一日の外出を通して、というのは難しかったと思います。そのうち、3~5万円のイヤホンを使うようになって暫くワイヤレスイヤホンは使っていなかったのですが、1 2時間保つPowerBeats3を使うようになってその便利さを再確認した次第です。
長い間原付に乗っていたので、本体を触らずに使えるワイヤレスイヤホンは重宝していたのですが、iPhoneからイヤホンジャックが無くなって有線イヤホンと充電が同時に出来なくなったところで、私にとってワイヤレスイヤホン以外の選択肢は無かったのです。
正直AirPodsはオープン型で聴きやすさ、音質という面では劣りますが、使用可能時間+充電のし易さはバツグンです。PowerBeats3は12時間連続使用可能ですが、充電は別にバッテリーが必要なのでAirPodsと比べると使い勝手の面で難しいところがあると感じます。音は勿論PowerBeats3が良いです。
何を優先し何を犠牲にするかは人それぞれですが、iPhone使いにはAirPodsかPowerBeats3Wirelessはお勧めのイヤホンです。
子どもたちに何を残せるか
日本周辺の国際状勢が思わしくない。と言うか、悪化の一途を辿っている。
一方で、国内にも不思議な人達が跋扈している。敵国の無理を忖度せよと政府に迫り、それで権力に立ち向かっていると自惚れる記者が象徴的だと思うが、それに劣らず酷い人達を多く見かける。
また、戦争を忌避する余り思考停止に陥っている人達が多い事に驚かされる。
思考停止、というのは、“戦争はいけないこと"というところで考えが止まってしまっていることだ。
勿論戦争がないことに越したことはない。しかし、戦争とは2つ以上の勢力がないと起こり得ない。
今の日本では第二次世界大戦では加害者であったというのが大勢を占める理解であるが、その反省に立って戦争はいけないことと考える事も、間違ってはいないだろう。だから今度は加害者にならない、ということなのだろうが、そこに"今度は被害者になるかもしれない"という思考は見られない。
もしそう考えていても、抵抗しない、というのは個人の自由だが、何もしないで殺されるのは、私はゴメンだ。
自分の大切な人が殺され、また支配され苦しむのは見たくない。中国の異民族支配が苛烈なのは、チべットを見てもウイグルを見てもよくわかるだろう。まして今でさえこれだけ言われているのだ、支配されてからどんな扱いをうけるか、想像に難くない。
国を守るということは、家族を守ることであり、自分を守ることだ。自分の子どもがつらい目にあうのが解っていて、何もしない人はまず居ないだろう。その為に何ができるか、何をすべきかを考えるべきるのに、思考停止して、あるいは、“自分は悪者になりたくない”というズルさの為に行動する者の邪魔をするのは、何とも愚かではないか。
これからの日本にヒロシマやナガサキをもう一度作るつもりなのか。
中国人や朝鮮民族の行動を非難するつもりはない。彼らは彼らの幸せ、豊かさや自尊心のために日本を貶め、又この土地を欲して居るのだ。ただ、私は日本人として、それを無抵抗に受け入れるつもりがないだけだ。
そこに理想論も必要だがそれだけが正しい武器でもないし、ましてや思考停止で臨んで良いものでもないと思う。人殺しの道具を手に、野蛮人の謗りを受け入れる覚悟を持つことは決して間違ってはいない、と私は思うのだ。