子どもたちに何を残せるか

日本周辺の国際状勢が思わしくない。と言うか、悪化の一途を辿っている。

 

一方で、国内にも不思議な人達が跋扈している。敵国の無理を忖度せよと政府に迫り、それで権力に立ち向かっていると自惚れる記者が象徴的だと思うが、それに劣らず酷い人達を多く見かける。

また、戦争を忌避する余り思考停止に陥っている人達が多い事に驚かされる。

 

思考停止、というのは、“戦争はいけないこと"というところで考えが止まってしまっていることだ。

勿論戦争がないことに越したことはない。しかし、戦争とは2つ以上の勢力がないと起こり得ない。

今の日本では第二次世界大戦では加害者であったというのが大勢を占める理解であるが、その反省に立って戦争はいけないことと考える事も、間違ってはいないだろう。だから今度は加害者にならない、ということなのだろうが、そこに"今度は被害者になるかもしれない"という思考は見られない。

もしそう考えていても、抵抗しない、というのは個人の自由だが、何もしないで殺されるのは、私はゴメンだ。

自分の大切な人が殺され、また支配され苦しむのは見たくない。中国の異民族支配が苛烈なのは、チべットを見てもウイグルを見てもよくわかるだろう。まして今でさえこれだけ言われているのだ、支配されてからどんな扱いをうけるか、想像に難くない。

 

国を守るということは、家族を守ることであり、自分を守ることだ。自分の子どもがつらい目にあうのが解っていて、何もしない人はまず居ないだろう。その為に何ができるか、何をすべきかを考えるべきるのに、思考停止して、あるいは、“自分は悪者になりたくない”というズルさの為に行動する者の邪魔をするのは、何とも愚かではないか。

これからの日本にヒロシマナガサキをもう一度作るつもりなのか。

 

中国人や朝鮮民族の行動を非難するつもりはない。彼らは彼らの幸せ、豊かさや自尊心のために日本を貶め、又この土地を欲して居るのだ。ただ、私は日本人として、それを無抵抗に受け入れるつもりがないだけだ。

そこに理想論も必要だがそれだけが正しい武器でもないし、ましてや思考停止で臨んで良いものでもないと思う。人殺しの道具を手に、野蛮人の謗りを受け入れる覚悟を持つことは決して間違ってはいない、と私は思うのだ。