広島、ヒロシマ

4、5年前、1年の間に4~5回原爆ドームに通った時期があります。

 

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自分は反戦論者ではありませんし、どちらかと言えば右寄りの人間です。とは言え、母が家の書棚に『はだしのゲン』を出る度に買って差していましたし、佐々木貞子さんの伝記もあって原爆の悲惨さなんかはそれなりに知っているつもりで、決して積極的に使用を勧める人間でもありません。

 ただ、知識もなく知ったつもりで核について考える人間にはなりたくないと思った訳です。

 

日本で行くべき場所というものが有るとすれば、広島と長崎はまず入るでしょう。

その中でも、私は長崎こそ行くべきだと思います。一人ひとりに自分で感じとらせようという静かさが私には好ましく思えるからです。

 

でも、広島は初めての人間には広島がいいと思います。入口が広いですし、分かり易い資料も多いですから。

ただ、何を考えるべきか、何を感じるべきかは人それぞれ自分で選べなければいけないと思うのです。極端な話、資料を目のあたりにして尚、核使用に確信を持てる人が出るような存在でなければいけないと思うのです。

 

勿論これは個人的な考えですが、そんなことを考えた8月6日でした。

お祭りの思い出

お祭りというと、思い出すのは夏の地区の神社の夏祭りと、地域の秋祭りです。

 

夏の祭りは昼間に小学生の相撲大会があって、大抵は2位か優勝でした。夜は屋台が出ていて、学年毎に出し物をしてという感じでした。

秋祭りは、学校が確か半日授業になったはずです。これが楽しみでした。他の地域の祭りにも行く事はありましたが、上手く休みの日と重ならないと行けなかったように記憶しています。

 

自分は大勢で騒ぐのは昔からあまり好きではなかったので、お祭り騒ぎというのも当然あまり好きではありませんでした。ですから、お祭りのおこづかいとしてもらったお金も、マンガ本に消えてしまいました。

結局、何かを皆で空気を楽しむ、という類いのものにあまり価値を見出せない人間なので、自分がそこに意義を見つけられないとだめなんですね。その点、大人になってからどんたくに行くようになった今の自分を昔の自分は驚くのではないかと思います。

 

元々人混みは苦手ですし、色々と祭りというものには向いていない質なのでしょうが、今年もどこにも行く予定はありません。

お気に入りのインク

万年筆を使い始めた頃、気に入っていたのはPelikanのブルーブラックでした。色彩雫も使っていましたが、一番お気に入りの万年筆に入れるのは、たいていブルーブラックでした。

 

所謂古典インクというやつで、水滴が落ちても滲まないという実用性、昔ながらの仕組で作られるというロマン、その2点に惹かれました。

他のインクでは夏、グラスの汗が紙に落ちて濡れてしまって、そのままインクが滲んでしまって文字が見られなくなってしまうのが何とも悔しいと思っていました。

文字が消えることはなく、変色していくのも面白く、あまり裏写りや裏抜けもしないこのブルーブラックはそういった不満を解消してくれました。色も好みでしたし。

 

その後は、Robrer & KlingnerのScabiosaがお気に入りになりました。基本的にはPelikanのブルーブラックに通じるところがありますが、色がくすんだ紫という感じで、落ち着いて使えます。

 

そして、今気になっているのが、KWZInkの古典インクです。お果子のような甘い香りのするインクで、使っていて楽しくなります。今、人にお勧めするなら、この会社のインクでしょう。

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手書き文字認識に感動

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かつてPDAを使っていた自分からすれば、こうやって普通の文字を認識するのはすごいと思います。

キーボードで文字を入力するというのは、変換に時間がかかって思考を止めてしまうものである、という意見には正直「そうかな?」と思うところも有りますが、それでも、変換の時間は実際にかかりました。

これまでも、手書き文字をそのまま認識させようとした試みはありました。例えば、Newtonはアルファベットをそのまま認識させようとしていました。しかし、誤認識が多かったと聞きます。ザウルスは枠の中に書くようになっていて、その枠が小さくて少ない、というので不便でした。

 

それをどうにかしよう、として実用的な製品を作ったのがPalmでした。これが良かったのは、少々特殊な字形のアルファベットを入力方法として選んだことです。ロースペックのデバイスが認識し易いような字形を採用したことで、ぐっと誤認識は減ったように思います。学生の頃から社会人3~5年生の頃迄はPalmを使っていました。ただ、結局のところ使わなくなったのは、出来る事の限界、というか、求めるものの高みにまでPDAが登って来られなかった事が理由です。それは、インターネットとの接続です。一応、方法がなかった訳ではありませんが、それは自分が良しとするものではありませんでした。iPod touchが出た時は使ってはいましたが、これもネットに繋がるものではなく、音楽/動画デバイス以上のものではありませんでした。これがインターネットに繋ったら、と願っていました。

 

そこに、iPhoneの誕生です。

 

日本で出た時、すぐには飛びつきはしませんでした。当時、ソフトバンクに良いイメージが無かったこと、アプリの追加が出来なかったこと等、理由があったからです。しかし、徹夜明けの8月、良い事も有ったので電機屋に走り、iPhone3Gを買いました。それ以降は、発売日に買えるようにしています。

 

iPadが出た時はすぐに飛びつきました。しかし、やはり手書き文字入力は実用的ではなく、専らビューアとしてiPadは使ってきました。

 

そして、iPad Proの登場です。高いスペック、手書き文字認識をするソフト、これらが揃ったのです。

 

正直、iPad Proを使っていると、万年筆を使わなくなるのではないか、という心配もあります。勿論、杞憂に終わる可能性の方が高いですが、こんなに雑な文字でもキチンと認識して、しかも漢字に変換してくれて、キレイな文字で残せるとなると...どうでしょうか?比率は変わるかもしれませんね。

少なくとも、キーボ―ド入力はしなくなりそうな気がしています。せっかく高い、2万円もするのを買ったのに。もったいないことですよ。

旅の鞄

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私は鞄が大好きです。たくさんの鞄を買っては自分の思うものでないと新しいのに買い換え、ということを繰り返しています。自分の荷物をぴったり収めたい、しかし買い物をした時に荷物を入れる余裕が欲しい、用途に合わせて変わる荷物にも対応させたい、というわがままな要求に応えてくれる鞄が欲しいと常々思っています。

しかし、こういう夢の鞄は存在しませんので、仕事用、休日用と分けて対応しようとしています。

 

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そんな中で旅の鞄というのは自分にとって重要です。日常生活の中で使う鞄であれば、車に乗せられるのである程度たくさん乗せておいて必要な者を車内で移し替えて、ということが出来ます。しかし、車以外で旅に出てしまえばこういうことは出来ません。出る前に荷物を選んでおかなければいけません。

ですが、万年筆はたくさん持って出たいし、ノートや手帳も持って行きたいし、カメラも持って行きたいし、買い物をした時に荷物も入れたいし…という願望を叶える鞄を用意すれば大きすぎて移動には不向きであるし、それなりの鞄に入れようと厳選してしまうと楽にはなりますがあれが使いたかった、と後悔することもあります。

 

まあ、持っては出たけれど使わなかったというものもあるのですが、その時の気分によって使いたいものが変わるので、私はある程度選択肢を用意しておいた方がいい人間であります。出る前にこれを使おう、と決めて出かけても、いざ使う段になるとこれじゃない、となることがあるのです。

しかも、荷物も時とともに変わって行くので、ある時点では理想的だった鞄が時間の流れの中で自分の要求に応えなくなる時が来るのです。

 

人がどんな風に鞄を選んでいるのか、どんな風に荷物を選んでいるのか、知りたいと思います。