コロナで旅が出来なくなって、改めて旅の価値を振り返る
県外に旅することが出来なくなって数ヶ月、四国ないどころか県内さえも自粛せよ、という雰囲気になってきています。
一時は車にアホほど乗って西は熊本県、東は静岡県まで車中泊をしながら旅をしていたものですが、友人が列車旅をしているのに憧れて自分もするようになりました。車中泊はネカフェ泊になり、相変わらず泊まることには無頓着ですが、旅自体の質は車時代とは変わりました。
車は自分が運転するので風景も十分に楽しむ、というわけにはいきませんでしたが、列車では更にその時間が減りました。書き間違いではありません、減りました。
なぜなら、電子書籍などを楽しむようになったからです。
乗り物酔いは生涯で一度きりの人間です。何時間でも読んでいられます。
文字を追っていては風景を楽しむ時間なおありません。おかげで同じところに旅をしても何度でも楽しめます。
車時代は『アイドルマスターモバイルi』という位置情報を使ったスマホゲームで多くの設定されたポイントに行くのが旅の目的の一つでした。しかしこれも数年前にサービス終了となり、新たに私が見つけたのが『駅メモ』という駅の位置情報を使ったスマホゲームです。
これは陣取りゲームの要素もあってアイマスよりも中毒性が高く、見事にハマっています。キャラクタの魅力というのもあるかもしれません。
旅することの楽しさは他にもあって、旅先でカフェを見つけてそこで日記を書いたり友人に手紙を書いたりする、ということもあります。旅先で見つけたものや感じたことを文字で共有するというのは、SNSを使ったものとはまた違った面白さというものがあります。
すぐに伝わらない、というもどかしさや不便さが手紙にはありますが、己の内側を表現するという意味においては写真や動画と同じですし、文字でしか伝えられないものもあるので、ごく私的な表現をするというのは私にとってとても貴重なことであると思っています。
美しい万年筆と美しいインクに載せて拙い言葉をどうにか文字にしていく過程は、私にとっての数少ない自己表現であり、癒やしであり、かけがえのないものであります。文字を書いている時間というのは私が私で居られる時間なのだと思います。
非日常の空間、“私”と接続しない空間に身を置いて“私”を見つめるという行為は、一人旅だからこそ出来ることです。旅をするからこそ辿り着けることです。
その空間を得られる、その時間を過ごせるのが私にとっての旅の価値であり、贅沢なのです。