旅は好きですか
と聞かれると、答えるのが少々難しいです。
どこかに出かけるのは好きですが、電車旅・船旅・バス旅は道中スマホの位置情報を使ったゲームをするのに忙しくて、あまり車窓の眺めを楽しむ、ということがありません。ゲームをしていなければネットのニュースやら電子書籍を読んでいることがほとんどで、旅の風景を楽しむというのは、どこかについてからという感じになっています。あえて言うのなら、乗り物に乗っているのが楽しい、ということかもしれません。
まだ車であちこちフラフラしていたときの方が風景を楽しめていたと思います。まあ、車を運転していて外を見ないというのはあり得ないわけですから、当然といえば当然のことですが、そういった制約が無ければ、自分はあまり風景を楽しむ面白さに目覚めていない、ということなのでしょう。
思い返せば、修学旅行であったり遠足であったり、子どもの頃からどこかに遠出するときにも大抵は本を読んでいました。家族でどこか行くときもそれは同じで、車酔いをした経験は、幼稚園時代に一度だけしかありません。そういうことを振り返ると、こういうところは三つ子の魂と言えるのかもしれません。
『どこかに行った事実』というのがあればいい、ということでしょう。
どこかに行って何かを見る、ということについても、正直自分が本当に楽しめているのかどうか、今は自信がありません。
かつては写真を撮る趣味があったので、お城なり神社なり自衛艦なりを撮っていれば幸せでしたし、それが旅の目的でした。しかし、今は位置情報を得るためだけにあちこちに出て行っている、という感じもします。ゲーム自体を楽しんでいることは事実でしょうが、旅が二の次になっているような気もします。
旅が何か目的を持っているものであれば良い、というのであれば、これはこれで一つの目的なのでしょうが、なんとなく邪道なような気もして、どこか後ろめたさもあります。
ゲーム『駅メモ』は、今回の旅でかなりのポイントを稼げましたし、途中で終わっていた京都以降のの路線のいくつかをコンプリートできました。ゲームという点では十分に満たされた旅であったことは間違いないと思います。
一方、お伊勢参りをして、美味しいお菓子や食事を頂いて、以前行けずに再戦を誓っていた岐阜城に行けて、ということを考えると、旅という点でも充実していたのでは無いかと思います。
ただ、時間の多くをゲームに使った、という事実が自分を苛む、ということなのです。
今風の旅の楽しみ方、なのかもしれません。そう割り切って、楽しめば良いのかなあ、となんとなく、ぼんやりと、考えています。